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「ワクワク」が機動力の次世代型アントレプレナーがつくるエネルギー制約から解放される未来~デジタルグリッド株式会社 代表取締役社長 豊田祐介

「日本人はベンチャーと金融に向かない。エリートが安定志向で大手企業就職や公務員を希望して、リスクをとって起業したりしない」と グレゴリー・クラーク多摩大学名誉学長がため息をつきながら話すのを聞いたことがあった。2000年初頭の頃だったと思う。
 それから20年。東大卒エリートの中でも、主流派が安定就職をせずに起業をする潮流が出てきている。デジタルグリッド社社長の豊田祐介もその流れの中の一人だ。

 「ワクワクする事を求める人が増えてきているんだと思います」

 東大生の中で起業する人たちの感覚というのは、「一流企業に就職できないから仕方ないからベンチャー」という意識なのか、それとも「むしろ一流企業に勤める人よりも更に能力が、ポテンシャルが高いから、ベンチャーにチャレンジできる」という意識なのか、と尋ねたところ、豊田からこう答えが返ってきた。

 昭和のエリートの主流派は経団連的な一流企業や霞ヶ関に勤めた。平成になるとそこにゴールドマンサックス証券やモルガン・スタンレー証券など外資系投資銀行、マッキンゼーやボストンコンサルティングなど外資系戦略コンサルティングファームが選択肢として加わった。終身雇用年功序列の安定はなく、結果が全てであるグローバルスタンダードの過酷な競争環境に入るというリスクを取るエリートが出てきた。外資系のアップオアアウトの世界を経験し、そこで修行をしてから起業するという世代が生まれた。

 そこから更に最近では、そもそも、その「修行」のステージを飛ばして、「最初からワクワクするピッチができればスタートアップできる!と思う学生が増えてきた」と豊田は分析する。I Tの発展で大きな組織でなければ出来ないような設備投資が不要になり、個人レベルで起業しやすくなったという環境背景はもちろんあるが、「一流就職よりも、スタートアップで成功する方が上」と感じる学生の意識の変容が一番のポイントだろう。令和型エリートといったところだろうか。

 経営共創基盤の冨山和彦氏が数年前に「新卒採用で、ゴールドマンサックスとうちの両方の内定を取った学生のうち、半数はゴールドマンでなくうちを選ぶところまできた。給与だけなく、社会貢献性の高い事業に意義を見出す学生が増えてきた。ただ本当のトップティアの学生は取れない。彼らは自信があるので、就職を経ずにストレートにベンチャー起業に進む」と話していたのを思い出した。まさに豊田は学生サイドの目線で同じ現象を当事者として語っていた。

 豊田の話を聞きながら、日本も変わってきましたよ、金融とベンチャーどちらも手がけられるエリートがメインストリームの中から出てきましたよ、とクラーク学長に報告したい気持ちになった。

 東大卒業後にゴールドマンサックス証券に5年間勤務した後、2017年にデジタルグリッド社の創業メンバーとして加わった豊田は、カテゴリーとしていえば平成型エリートの王道に見えるが、彼の実像を知ると「大手での修行を経ずにストレートに起業した令和型」に近い。彼の起業の動機はどこにあるのか。起業以前の時代、子供時代まで遡り、豊田の事業ビジョン、目指す社会のイメージを重層的に検証していくことにした。


震災ボランティアに駆けつける先輩社員の熱量に惹かれゴールドマンサックスへ

 豊田が就職活動していたのは2011年、東日本大震災の年だった。震災の翌日、当時ゴールドマンサックス証券の新卒採用で豊田を担当していた銅冶勇人氏(現、DOYA代表取締役社長)から「大丈夫か?」と電話がかかってきた。なんと彼はその時すでにボランティアで炊き出しに出ていた。衝撃を受けた。まだ混乱の真只中で、普通はみな自分の家族の安否などで頭がいっぱいな時期なのに、もう被災者のためにアクションを起こしている。行動力が半端ではない。こういう人がいる会社ならと思い、ゴールドマンサックス証券への入社を決めた。
「そこでビジネスの勉強がしたいとか、成り上がりたいという気持ちではなく、こんなエネルギッシュな人がいるなんて面白い!と思って」

 入社後は為替チームに配属された。利益と損失とすべてが画面上に数字で計上される世界。成果を上げても情熱が感じられない。手触り感が無い。違うなー、と思った。ああ、もっと地に足がついた仕事がしたいと。

 自分の志向性とは異なると感じ、早々に辞めようと会社に相談してみたところ、お前は何がやりたいんだと上司に聞かれた結果、太陽光に関わる業務に異動させてもらうことになった。実事業である太陽光への投資では、あの手この手で騙してこようとする有象無象の手合いがいたり、ヒューマンドラマがあったり、為替マーケットと較べるとずっと手応えがあって面白かった。

 ただそこでも違和感が禁じえなかったのは、結局、金融の世界においては、事業投資といえども、詰まるところは金融商品としてしか見ていない。利回りを求めた債券投資の代替に過ぎなく、そこが自分にはつまらないと感じた。事業そのものに投資がしたいと気づいた。 


現場目線の仕事を目指し、非上場企業支援を経て、恩師とデジタルグリッド創業

 「お前はドライバーズシートに座れ」と周りからアドバイスを受け、佐山展生氏等が率いる国内独立系の大手プライベートエクイティ(PE)投資ファンドである「インテグラル」へ移った。自分がいいと思ったものに株式投資するのは、確かに面白かった。

 この選択でも豊田の「アントレプレナーシップ」がすでに感じられる。大型投資を中心に手がけ、業界ポジション的には華やかに映るベインやカーライルなど外資系PEファンドではなく、「地に足の着いた」国内中小企業への投資も事業範囲に入る国内独立系PEファンドを、あえて選んでいる。現場で自ら手足を動かすプレーヤーでありたいという想いがほんとうに強いタイプなんだろうと想像した。

 そんななか大学の研究室でお世話になっていた恩師、阿部力也教授とは定期的に会い続けていた。儀礼的な面会ではなくて、ただ先生が好きで話していておもしろいから卒業後もずっと会っていた。

 そして2017年、阿部先生が「君、このプロジェクトはいけるよ」と満を期したかのような表情でデジタルグリッドの事業計画を話してくれた。グローバル金融の世界に身を置いている立場からすると、先生の計画はキャッシュフローがちゃんと引けているのかも定かではなく、まだまだ「いけるよ」と言う段階ではないとすぐ分かった。

 まともに給与が出ない可能性も充分にあるなと直感的に感じた。阿部先生からも「豊田くん、来てよ」とは言わない。それでも「先生、やりましょう! いまからファンド辞めてきますよ!」と自分から切りだして、創業に加わることにしたのは、「面白そう!」という気持ちが勝ったから。

「給料が2年くらいなくても、まあ蓄えでなんとかなるから、2年間試してみよう。ダメでも死ぬわけではないし、どうしても食べられなくなったら、元の会社に頭を下げてまた働かせてもらうこともできるかもしれないし、他の会社もあるし。それよりなにより、自分がこんなにやりたいと思ったことが無いから、それをやらない手はないと思った」

 こうして好奇心と情熱にしたがってPEファンドを辞め、ベンチャー立ち上げに加わるのだが、天真爛漫な決断を支える家族もまた見事というしかない。そのとき子供は1歳と4歳。「食べられなくなるまでやらせて!」と安定収入を手ばなして不確かな未来に飛びこもうとする夫を、二人の幼な児をかかえながら受けいれる妻。天晴れな潔さにはだれしも深い敬意を覚えるに違いない。


危機を前に敢えて社長就任。資金調達実現、サービスローンチへのV字回復

 創業に加わる経緯を聞いていくと、豊田のドライブがなんなのか、とても明瞭に見えてくる。

 人間、お金が目的でなにかを始めた場合、儲からなければ別のことをする。成功や名誉が目的なら他にも道はある。義務や責任ともまた少し違う。ワクワクする気持ちが機動力。面白いから、好きだから、やりたいから。子供のようなピュアさが基底にある。少年のように目をキラキラさせながら、「ワクワク」という表現を何度も口にする。豊田の本質はここにあると感じた。

「自己実現というよりも、世の中を変えるおもしろいプロジェクトを実現したいという想いのほうが断然強い。その目的達成のためなら、肩書きや役割はなんでもいいと思っていた」

 事実、豊田がデジタルグリッド社に創業メンバーとして加わった時点では社長ではなかった。むしろ社長になったのは、会社の資金が底をつき、あわや倒産という、ふつうならできれば就任は遠慮したくなるタイミングだ。

 なにしろ銀行口座は空っぽ。システムがあと少しで完成するのに、そのために必要な資金が調達できない。そんな危機のまっただなか2019年7月2日に社長に就任した。

 9月20日のデッドデー、返済期限間近の8月31日時点ではまだ合計金額まで集まっていなかった。全額が集まらなければそのまま倒産する。ベンチャーキャピタルにエンゼル投資家に出資を頼みに回ったけれど、ほとんど断られてしまう。

 他方、株主からのプレッシャーもあり、7月から9月まで3ヶ月間、給与の支払いができない状況が予見され、社員さんに辞める選択をしていただいても仕方がない厳しい現状を伝えなくてはならなかった。すると、給与がもらえなくてもいい、失業保険がもらえなくても業務委託という形で続けるのでもいいと、思いがけない応えで、ほとんどの社員が残ってくれた。ありがたかった。

「いま思うと、いったいなんの根拠が?と思うけれど、八割方、融資を断られ続けていた最中でも、なぜかお金は集まるに違いないと信じていたんです。これだけワクワクするプロジェクトなんだ、ここまで2年間ずっと土日も休まずに頑張ってきて、あと少しでシステムが完成するところなんだ、資金調達できるに決まっている、と無意識に信じていました」

 資金調達は結局ギリギリのところで出資者があらわれ成功、会社は継続が可能となり、現在にいたっている。


精鋭を率いるからこその共感型リーダーシップ

 爽やかでスマートな風貌、東京大学卒から新卒ゴールドマンサックス証券という輝かしい経歴。ともすると恵まれた境遇の苦労知らずのエリートの起業成功譚かと錯覚してしまいがちだが、実際には創業2年目にして倒産の危機に直面し、なんとかくぐりぬけて軌道に乗せてきたという無風とはほど遠い道のりだった。やはりたとえだれが手がけようと、起業というのは簡単ではないというシンプルな事実を実感させられる。

 留意したいのは、豊田はその危機にあたり責任者として先頭にたって解決をさぐる道をみずからえらび達成しているという事実である。当時じつは豊田には危機下の同社を離れて別の会社を豊田の名前で立ちあげるならサポートするというスポンサー達がいた。その魅力的な選択肢があるのを充分理解したうえで、豊田はあえて同社に残り、仲間たちとともに同社の危機をターンアラウンドさせるリスクの高い道を意識的に選択している。ピカピカのネームブランドのエリートが安定運行のベンチャーに落下傘経営者として迎えいれられるケースとはまったく違う。創業者とほぼ同義の、フルリスクをせおって泥道も茨道も率先してすすむ本物のアントレプレナーだった。事前資料でイメージしていた、エリート経営者アルアル物語では?という先入観とは真逆だった。

 それでも錯覚してしまうのは、目の前で、黒目をキラキラさせて事業のビジョンについて楽しくてたまらないという笑顔で語る豊田に、苦労の影がまるでなく、ひたすらに明るく、彼が見つめている目線の先にある事業の未来が眩しい光を放ちながら成功しているイメージが鮮明に伝わってくるからだ。

「こんなに世の中の役に立つおもしろいプロジェクトが成功しないわけがない」

 心の底からそう信じて迷いがない豊田のまっすぐな想念が、彼の身体中から無尽蔵にあふれている。それがまわりに伝播して明るく力強いポジティブなエネルギーの循環が社内外につくられているんだろうと想像させられた。

 豊田のリーダーシップは「なんでもいいからとにかく俺を信じてついてこい!」という親分気質なものとはちがって、「このアイデアどう?すごくおもしろいでしょ? こういうふうに一緒にやったらぜったい楽しいよ!」と彼自身が心底ワクワクする提案にまわりもおもしろがって巻きこまれていく、アイデア主導型のリーダーシップといえる。優秀な少数精鋭の才能が集まるチームを率いるには最適なスタイルだろう。

「社会を根底から変革するおもしろいプロジェクトが成就すること。そのために必要な異能メンバーがそれぞれ各自の能力を最大化して発揮できること」

それがリーダーとして豊田が望んでいるもので、そこには意外なほど「俺が俺が」という彼自身のエゴの部分が感じられない。まさにフラット型組織のリーダーなのだと感じた。

 これからの時代の要請に見合っている、こうした豊田のフラットで情熱的なチーム型経営スタイルはどのようにできあがってきたのだろうか。

 「蓄電池の価格がどれだけ下がればリニューアブルエナジーの市場価格がビジネスとして見合ってくるか」をあつく語っていくうちに椅子から立ちあがり、会議室のパーテションのオフホワイトの壁一面に、計算式を夢中になってマーカーで書きはじめた豊田の横顔を見ながら、彼の来し方、パッションの原点をもっとさぐりたくなった。


自由を貴ぶ共感型リーダー像の原点は、「ゲームし放題!」の家風

「やってみたいと思ったらトライさせてくれる環境が、子供のころから確保されていました。家族に感謝しています」

 営業バリバリ夜は接待帰りで、証券会社の神と呼ばれるまでに上りつめた仕事人間である祖父をみて、自分は家族サービスをしようとつとめた「口数の少ない生粋の理系エンジニア」である父、ソニー勤務時代に父と職場結婚をして専業主婦になった行動力あふれる「ムードメーカー」の母、6歳年長でおままごとやゲームを一緒にやってかまってくれる「すごく優しい」姉の四人家族。

 豊田の家庭の基調メロディーは「自由と愛」
「好きなことを好きなようにやればいい」という自由な空気が特徴的な家庭だった。父も、母も姉も、豊田本人も、皆、好きなことをやる。そして皆仲が良い。

「幼稚園のころからゲームにハマっていて起きている時間ずっと一日10時間くらいプレイしていました。高校生になっても夏休みには朝から晩まで一日中パソコンでゲーム三昧でした」

 そんな豊田のゲーム時間をいっさい制限することがない。それどころか、母も姉も自分と一緒になって同じゲームをプレイして、だれが先にラスボスを倒すか競い合った。小学校に通っているうちに彼らはゲームを先に進めて「私はここまで進んだわよ」と得意げで、悔しいから朝早く起きて登校する前にゲームを進めた。

 ゲームだけでなく、将棋でも漫画でも、自分が興味をもったものはなんでも一緒にやろうとする。とくに母親はすべからく興味をもってのってくる。
 そんな明るくオープンな家庭環境だから、豊田の家は友達の溜まり場となり、学校が終わるとみんなでマリオカートなどゲームをして遊んでいた。つねに家にだれか友達がいるのがあたりまえという感覚で豊田は育ってきた。

「好きなことしたらいい」という意味は豊田家では放任でなく共有だった。受験勉強を母子が二人三脚でおこなう共有はよく見られるが、子供の遊びを徹底的におなじ立場でおこなう共有は都内ではめったに聞かれないのではないか。


母親は、60歳でオーケストラ楽団を創設する「アントレプレナー」

 こんな「偉業」をなす母親もまた規格外の行動力をもつ「アントレプレナー」だった。「母は学生時代にほんの4〜5年ビオラを弾いていて、その時期にヨーロッパで演奏する機会があって現地で学生と交流した経験があるんです」。そしてその体験が忘れられず、「私、楽団を作るわ!」と60歳になってオーケストラの楽団をゼロから立ちあげたという。ふつうの「専業主婦」の枠を軽々と超越している。そのオーケストラの演奏初日が豊田の東京大学受験の当日と重なった。「私ちょっと忙しいから、あなた受験がんばってね!」と、明るくわが道をすすむ母。そんな母の姿を「おもしろい人だな」と見つめる息子。豊田のたぐいまれな「アントレプレナーシップ」の源泉はここにもあると感じた。

「好きなことを好きなだけ、とことんやり尽くす。これが原体験としてあったから、まわりにも同じようにやりたいことをやってほしいと思う。従業員にたいしても、自分の好きなことで自己実現してほしいと伝えています。『俺がこう思うからみんなこっち向いて俺についてこい』という経営スタイルじゃないんです、良くも悪くも(笑)」

 ひとなつこい笑顔でニコニコ楽しそうに話す豊田を見て、彼の下につどうチームはやりがいがあるだろうなと容易に想像がついた。

 フラットなチーム型組織のリーダーシップの理想形といえるこのスタイルを豊田が獲得できているのは、「自由と愛」に満ちた生育環境で健全にそだった恩寵だろう。もし、好きなゲームの時間を制限され、時間の使い方を管理され、過干渉にそだてられていたら、彼のこのリーダーシップが自然に形成されることはきっとなかったはずだ。


中学受験の挫折、帰国子女としての困難も「ワクワク魂」で乗り越える

子供のころから負けず嫌いで、リーダー格ではあったという。ただ勝気な性格でも好戦的ではない。人と戦うのではなく、自分との戦いに主眼があり、まわりとぶつかるタイプではなかった。意見の違いがあっても、それを力でねじ伏せて自分の意見を押しとおすというのでなく、「人にはそれぞれ正義があり、その人がなぜその意見を言うのだろうか?と考えるタイプ」だったと豊田は自己分析する。敵対するのではなく、ワクワクして楽しいことをみんなで一緒にやろうよ!と、力関係からでなく、おもしろい提案、ポジティブな感情を示して、まわりを巻きこんでいくムードメーカー的な立ち位置でのリーダーシップだった。

「好きなことを好きなだけやり尽くす」という種類の人間は失敗が怖くない。失敗の恐怖より、挑戦の「ワクワク」が勝るから、うまくいかなかったらどうしよう?という不安でチャレンジを避けるという発想が無い。

「自分がワクワクすることは手を挙げて率先してやりたいタイプです。そして引き受けたからには何とかしたくて、やれるだけのことをやる。失敗するとしても、前を向いて倒れるまで走りきる。というのをモットーにこの会社ではやってきています」

 正にスタートアップにドンピシャリのメンタリティだ。うまく行かなかったらどうしよう?ではなく、「ワクワク」がここでも勝っている。

 そんな明るい豊田の人生も見た目ほど順風満帆なわけではなく、苦い挫折感を味わう機会はじつはたくさんあった。

 小学校三年生から取りくんできた中学校受験では、ぜったいに受かると思っていたのに第一希望どころか第二希望も落ちた。あんなにがんばったのに? なぜここまで努力しても結果が出ないのか? くやしくて悔しくてたまらない。挫折感と屈辱。自分は人並み以上に努力をしないと、一流にはなれないタイプなんだ!と12歳の時点で痛烈に自覚した。そこから猛勉強をするようになった。

 その後、中学2年生から3年生の2年間、父の赴任でスペインに行き、インターナショナルスクールに通った。一学年下げての入学だったが、それでも英語がまったくついていけない。また挫折感を味わった。くやしくて、ここでも必死になって勉強をした。2年間懸命に努力をして最後には成績も上がり英語が話せるようになった。

 ただ挫折感を味わいながらもめげずに、人と交流することはやめなかった。スペインではサッカーを通して友達と心を通わせることができた。まわりと心がつながる人間関係をはぐくめる性格だったので、うまく行かないときも温かくまわりの人たちが励ましてくれた。だから挫折が傷にならない。つらいときでも努力しつづければ最後は成果がでるという体感、そしてまわりの友達や先生たちが優しくささえてくれるという人間に対する根本的な信頼感が形成できているから、鬱屈したりコンプレックスを持ったりすることなく、挫折をさらなる成長の糧にできる。

「ホーム」で愛情がたっぷり与えられている子供たちは、「アウェー」でもやっていける。豊田が人間的なキャパシティを拡げたのは、多感時期に「ホーム」を出て、スペインという「アウェー」の環境で自分の世界を拡大しようともがいた日々があったからに違いないのである。

 「アウェー」でのチェレンジは「ホーム」でのどんなチャレンジとも質が違う価値があるので、本当に可能であれば全ての子供たちに多感な時期に一年、いや半年、3ヶ月でも良いから体験して欲しいものだと切に願う。

 特に日本という単一民族の島国においてその意味は絶大で、この多様性の欠落を体感する意義は果てしなく大きい。

 とある日本の伝統的幼稚園の園長先生は全園児に向けて、「出来れば3年、少なくとも1年、外国で生活してください」と毎年度、卒園式で園長先生からの贈る言葉として伝えておられるが、正に日本人の多様性の確保、精神的弾力性、人間的キャパシティを拡げる何よりの手立てと分かってのメッセージなのだ。

 知ってか知らずか、豊田はまさにその申し子のような、帰国子女としての多様性とキャパシティを持つ、グローバルな目線のアントレプレナーとして育った。

 もちろんだから何もかもが簡単に進むというわけではない。道程にはいくつも障害は立ち塞がる。それは誰しも同じだ。ただポイントはそれら障害にどういうメンタリティで対応していくか。豊田はそれが他の人とは違った。
 
 やっと手ごたえを感じはじめたところで帰国すると、こんどは日本での勉強についていけなかった。またもやの挫折感。努力をしても努力をしても、また次に難局が立ちふさがる。挫折感の連続。大好きだったサッカーもやめて、青春もなく、ひたすら勉強した。

 失敗を怖がらずに「ワクワク」を追求して挑戦する気質をもちえたのは、失敗や挫折を経験しなかったからではなく、その経験を前向きに消化してきたからだ。その根底には「自由と愛」をふんだんに与えられた家庭環境、またスペインという圧倒的な「アウェー」での「ターンアラウンド」成功体験があることは間違いがない。


経歴、経験を超える、信じ、任せられる人としての資質

 そして無条件に存分に与えられてきた「自由と愛」を、豊田もまた自身の周囲に対して惜しみなく差し出していく。プラスがプラスを生む好循環。
    だから人にめぐまれる。まわりがついてくる。   

 じっさい小学校からサッカーとゲームを一緒にやってきた幼なじみの一人で早稲田大学卒の弁護士がいま同社でともにはたらいている。「法務のこと詳しくないから、手伝ってくれないかな?とたのんだら、ほんとうに来てくれて。嬉しかったですね」豊田の顔がほころんだ。
    
 給与が3ヶ月出なくても、そのうえ倒産のリスクが目前にあっても、なぜ大半の社員が辞めずについてきたのか。大前提として自分たちの手がけるプロジェクトの可能性を信じていたことは間違いないだろう。でも資金繰り倒産は事業のよしあしとは別次元だ。事業の将来性と同時に、経営者である豊田の手腕と将来性を信じられなかったら続けるのは無理だ。

 それはまた資金調達に応じてくれた投資家サイドも同じだったのではないか。事業計画書からプロジェクトの可能性を冷静に分析したとして、それだけで投資の判断に足るか。どれだけ精緻な計算式で予測しようとも未来はやはり不確か。最終的に決め手になるのは、だれが手がけているのか、ではないか。

 それでは、どのような「だれ」であれば、数字やロジックの先にある投資の最終判断の決定打になりうるのか。
 経歴か? 東大卒ゴールドマンサックス。申し分ない。でもほかにもいる。
 能力か? 事業の根幹にかかわる技術をもつ理系エンジニアで、グローバル金融を経て、事業と経営と双方の実務能力がある。ここにくると稀少性がグッと高まる。が皆無ではない。

 人間性は? 失敗をおそれない挑戦者、情熱でまわりを鼓舞しムーブメントを創出できるリーダーシップ、自己顕示ではなく社会貢献を志向する社会起業家としての篤実さ、難局に直面してもおれない明るく前向きな粘り強さ、自分と他者に対する信頼関係を築ける健やかさ。

 ここまですべて兼ね備えている人物というと、もはやおいそれとは代替が効かない。
 
 倒産の危機を回避できたのは、ギリギリで投資をしてもらえる幸運が重なったからと豊田は言うが、たんなる幸運や偶然ではないとお分かりいただけると思う。

 今後むずかしい事態におちいっても、この人物なら、彼が率いるチームなら、きっと打開していくだろう。それなら投資してみよう、賭けてみようと、投資家側の判断があったにちがいないと想像するのである。


電気が空気や水と同じようにタダになる未来をつくるために

 デジタルグリッド社のプロジェクトになぜ豊田はこんなにも「ワクワク」するのか。それで世の中がどんなふうに変わっていくのか。豊田の瞼の裏に見えている世界はどんな風景なのか、聞いてみた。

「再生可能エネルギーは、じつは際限なく無尽蔵に存在するんです。その事実を学生時代に知ってから、僕の世界観が変わりました」

 豊田の世界観を変えたのが、東京大学在学時に阿部力也教授の研究室で出会ったこの一枚の図表だ。

エクサジュール図-1

 世界中で1年間に消費するエネルギー量500EJ/annumの200倍以上という圧倒的なボリュームを、太陽光、風力、水力といった再生可能エネルギーは永遠に発電可能であることが示されている。原油の埋蔵量8,550 EJ/annumも石炭23,100 EJ/annumも天然ウラン20,220 EJ/annumも再生可能エネルギーの年間発電可能量の半分にも遠くとどかないし、そもそも使ってしまえば無くなって終わりだ。

 どれだけ使っても使いきれない膨大な量の発電が可能になる再生エネルギーの世界とはすなわち、エネルギーの価格がどんどんゼロに近づき、空気と同じようにタダ同然で使える世界、つまり省エネの発想とは異なり、エネルギーをふんだんに使って新しい技術やシステムを発明して、イノベーションをどんどん起こしていくことができる。


繰り返されるエネルギーをめぐる争いを無にするための、新たなインフラ作り

 産業革命しかり、人類が一つ上のステージに行く際にはかならず膨大なエネルギーを必要とする。有限の時代にはだから、人類発展のためにエネルギー争奪戦が起こりつづけた。再生可能エネルギーがインフラとしてあたりまえに浸透する時代には、どの国でも必要なだけエネルギーが入手できるから、戦争をする必要なく、技術発展にそれぞれ注力することができる。戦争がない平和な世の中を実現したいなら、再生可能エネルギー革命は必須だ。

 子供たちがエネルギーの制約なく、好奇心のおもむくまま、想像力を爆発させ、どんどん新しいチャレンジをして、自由にイノベーションを生み出していく、そんな平和で楽しい未来を創りたい。それが昭和世代としての自分たちの役目ではないか。豊田はそう考えている。

 だが理論的に可能ということと、じっさいに実現化することはイコールではない。こんなに素晴らしい世の中を創ることがリソース面では可能なのに、その可能性をみすみす逃してしまうなんてもったいなさ過ぎる。太陽光を始めとした再生エネルギーという無限に使えるせっかくのリソースを実用化するために、必要な技術、社会インフラを整備したい。それが豊田の挑戦である。

 まず基本的な視点として、1)エネルギーが再生可能、持続可能であること、そして2)限界費用が安いこと、この2点を豊田は重視している。
 再生可能というと、水力、風力、太陽光。洋上風力発電は設備が故障すると修理費が高額なので電気代に跳ねかえる。ダムはそもそも大規模設備投資だ。太陽光は小型のソーラーパネルを使用することで維持費が小さく、現状もっともランニングコストが低く地球への負荷も小さい分散型の再エネと言える。

 太陽の光は今日も明日も永遠に地球にそそがれる無限の資源で、じっさいに現在の電力マーケットで見ると九州地方においてはすでに、日中は太陽光の電気代が「0.01円」となっている。「電気代がタダ」という世界は限定的ながら出現し始めているのだ。

 だが太陽光は日没後にゼロになる。この出力が不安定な太陽光をどう安定的に使えるようにするかが課題で、鍵は蓄電池のコストにある。

 蓄電池は充放電回数に限界があり、一つの蓄電池を繰り返し使いつづけられるのはおよそ5000回。蓄電池のコストが5万円/kwhだとすると、一回辺りのコストに対して少なくとも10円/kwhは利益が出ないと投資に見合わない。蓄電池の価格がたとえば1/5、1万円に落ちれば、一回当たりの利益が2円/kwh取れれば採算があう。一回2円の利益というのは、すでに現在の市場で充分に実現可能な水準である。九州だけでなく関東ですら、2円の根差=利益であれば、すでに達成されている。

 ここ2〜3年で電力マーケットの様相はかなり変わってきた。ソーラーパネルの量はこの8〜9年で約2倍に増え、発電量が増えたことにより、太陽光の日中・夜間の値差がどんどん大きくなった。昼間の安い電気を夜間に高く売る、そのために蓄電池の需要が増す。蓄電池の使用量が増えていけば価格も下がっていく。徐々にこの傾向が進んでおり、あと一歩のところまで来ている。


大手企業の導入で、脱炭素経営を支えるキープレーヤーに

 デジタルグリッド社は、この動きをどんどん加速させるため、必要なインフラを整える役割を担うつもりだ。

 再生エネルギー市場は、2012年に始まった政府の補助制度FITにより後押しされて育ってきたが、この補助制度がまもなく終了する。これまでFITの仕組みの中では、再⽣エネルギーを作ればすべてパワーグリッド会社が買いとってきたが、今後FIT が終了すると、作り⼿が卸売市場で売却するかみずから電気の買い⼿を⾒つけてこなくてはならなくなる。

 発電した電気を売るために電線を使用するが、その電線使用の予約をする仕組みに、作り手が参加しなくてはならなくなる。太陽光をいつどれだけ発電する予定で、それをだれに売るのか、という発電計画を30分コマ単位でこまかく設計して、国に報告するという仕組みで、予定が現実と異なると罰金まで発生する。

 大手電力会社にとっても簡単ではない手間暇、負担の大きな作業で、社員が休日出勤してチャートとにらめっこしながら電力需給具合を人力で弾き出しているというのが現状で、これを再生エネの作り手がそれぞれ行うというのは並大抵ではない。

 この発電計画作成作業が新電力マーケット参加者のボトルネックになることは目に見えている。

 デジタルグリッド社は、この障壁を取り払い、電力マーケット参加者の負担を減らしたい。そこでAI技術を活⽤して、この需要計画や発電計画、つまり電⼒需給バランスを図る作業をデジタル化し、⼈⼿を介さずともオートメーションで⾏うシステムを開発した。既に実⽤化しており、ソニーや京セラ等多くの企業で導⼊されている。

 参加者の負担を減らし、再生エネルギー投資の魅力が下がらないようにしなくては、せっかくFIT制度で参入してきた多種多様な新規参入プレーヤーが、電力マーケットに根付かず、また散り散りに去ってしまいかねない。参加者が増えることでマーケット規模が大きくなり、産業として発展していける。この火をなんとしても消したくない。

 FIT制度を活用して2桁という破格の利回りが確保されたので、ホテルやゴルフ場開発に向かう投資が再生エネルギー市場に振り向けられ、ソーラーパネル導入が2倍に増え、再生エネルギー市場は大きく前進した。

 卒FIT制度後のFIP制度の下では2桁の利回りは出ないにしても、3〜5%の投資利回りは充分に見込める。であれば、不動産投資とどちらを選択するか競争の俎上に乗れる。この事実を是非プレーヤーの皆さんに伝えていきたい。

 豊田を筆頭にデジタルグリッド社はそのために汗をかく。中小のEPC、工事会社等に向けて精力的にセミナーや折衝を行い、面識のない会社へのコールドコールも年間100件〜200件と行っている。


日本の再生可能エネルギー市場を切り開き発展させる

 再生可能エネルギー市場の発展は、日本国のエネルギー政策、地球の資源環境政策を考えるならばまちがいなく必要不可欠な目標だ。本来なら、国家が旗を振って進めていくべき政策だが、日本のエネルギーの最適化を専門的に考えている政治家や官僚がすくないうえに、原発や火力など再生エネ以外の分野の既得権益者がいまだ多く、一枚岩で再生可能エネルギー政策が推進されにくいのが現状だ。

 この状況を改善するには、業界としてまだ声がちいさい再生エネ市場に、理解を深めてもらってよりおおくの人を呼び込み、多方面からさまざまな背景の人々を巻き込んでいき、業界団体を作って発信もおこない、業界としてそだてていく必要がある。

 技術力を活用して参入障壁を取りのぞき、よりおおくの人が参加しやすい市場インフラを整えて市場参加者を増やす。業界がそだち、再生エネルギー産業が発展する。電気代がタダになる未来がちかづく。自分たちが走り続けることで、その「ワクワク」する未来をすこしでも早く現実にしたい。この想いが、豊田を筆頭にデジタルグリッドが今日も前進をつづける機動力だ。

 2020年2月にローンチしたまだ新しい同社のシステムだが、すでにこの2021年4月時点で使用者が10倍に拡大している。市場に待ちのぞまれた画期的なサポートだったことがわかる。「電気代がゼロ」になる未来は、ようやく絵空事ではなく道をつけはじめた。

 電力市場改革は社会貢献度がきわめて高い取りくみだが、同時にビジネスとしても夢がある。なにしろ市場規模がとほうもなく大きい。日本の年間の電力使用量が8,700億kwhでうちおよそ1,000億kwhほどが再生可能エネルギーにふりむけられようとしている。

 グローバル金融経験者の強みで、ビジネス、数字面のフィージビリティスタディが精緻にできるのも豊田の特徴であり、事業計画の数字が一般的なスタートアップ企業とくらべて堅く、信頼性が高いのも同社の魅力だろう。

 幼稚園生のころからゲーム三昧でも叱られず、失敗や挫折を経ながらも好きなことに好きなだけ存分に打ちこんできた豊田が大人になり、その同じ情熱を、こんどは人生を賭けて注ぎこんでいるデジタルグリッド社の「再生可能エネルギー市場発展プロジェクト」。

 彼となら絶対に実現できると信じて高度人材ぞろい37人のチームメンバーが毎日「ワクワク」を共有しながら全力投入している。彼らのえがく未来予想図は夢物語ではない。一緒にその未来を実現していきたいと、ビジョンと情熱が共有されていくから、クライアントにも投資家にも、彼らのまわりを取りかこむステークホルダーすべてに伝わるから、同社への参加者が増え、電力市場のプレーヤーが増え、業界が育っていくのだろう。

 太陽光のように無尽蔵に発電しつづける豊田とチームのエネルギーを自分もぜひ応援したい。というより、一緒にみずから輝きながら走りたい。会って話せば誰しにも、ついそう思わせずにはいない。豊田はそんな魅力をもった真のアントレプレナーだった。

 彼らのような優秀な才能が、その能力を自分たち個人の名誉や成功のためだけに使うのではなく、世の中のあり方を本質的に根底から変えていくムーブメントを起こそうと、全身全霊で持てる能力の全てを投入しようとしてくれている。

 エネルギー革命に一生を捧げようとする彼らのチャレンジはとても尊くありがたいと純粋に胸を打たれる。自らの利益のためだけでなく、世の中のために才能を使ってくれる彼らのような高度人材が、増えていってくれたら、世界はもっともっと良くなる。ノブリスオブリージュの事例を目の当たりにして、とても嬉しくなった。

 

 

DREAM SEEDS CAMP

代表取締役 生島佳代子