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世界的に不足する「脱炭素人材」とその育成の取り組み - 米国・英国を事例に

 日本を含む世界125カ国(2021年時点)がカーボンニュートラル2050の実現に向けて、様々な政策パッケージを策定する動きを進めている[1]。日本もグリーン成長戦略を策定し、グリーンイノベーション(GI)基金2兆円の拠出し、また2023年2月にGX実現に向けた基本方針が閣議決定[2]し、今後10年間で、20兆円のGX移行債の発行を含む、150兆円の官民GX投資を実現する旨が表明された。さらに、566社(2023年6月時点)のGX(グリーントランスフォーメーション)企業が参画する、産官学と協働する場としてのGXリーグを設立するなど、矢継ぎ早に脱炭素化施策を展開している。

一方で、日本の政策と欧米の同様の政策を比較すると、大きく異なる点が見受けられる。それは、カーボンニュートラルの実現を担う人材の不足に対する危機意識と、その具体的な対策案の有無である。

そこで、本稿では脱炭素化の実現を推進する人材、すなわち「脱炭素人材」の現状と育成施策について、米国・英国の事例を参照しつつ、日本の脱炭素人材の育成への示唆を講じたい。

■LinkedIn「Global Green Skills Reports」 

 世界最大級のビジネス特化型SNSであるLinkedInは、2022年より年次で「Global Green Skills Reports」を公表している[3]。世界中の9億3,000万ユーザーのデータに基づき、社会をグリーン経済に移行させるためのスキル「グリーンスキル」に焦点を当て、さまざまなデータを提供しており、2023年度のレポートの中でも特徴的な洞察を紹介する。

  • 世界中で、グリーン・スキルを1つ以上持っている労働者は8人に1人しかいない
  • 2022年から2023年にかけて、労働人口に占めるグリーン人材の割合は中央値で12.3%増加し、少なくとも1つのグリーンスキルを必要とする求人情報の割合は中央値で22.4%と、2倍の速さで増加した
  • 2018年から2023年までの5年間の年率換算成長率も同様の傾向を示している。この期間、グリーン人材のシェアは年率5.4%増加し、少なくとも1つのグリーンスキルを必要とする求人のシェアは9.2%増加した
  •  過去1年間、全体的な雇用が減速した中で、グリーン雇用はその傾向に逆行した。2022年2月から2023年2月にかけて、全体的な雇用は世界的に減速したが、少なくとも1つのグリーンスキルを必要とする求人情報は、同期間に中央値で15.2%増加した
  • 少なくとも1つのグリーンスキルを持つ労働者のLinkedInでの採用率の中央値は、労働者平均よりも29%高い

 このように、グリーンスキルを有する人材の採用ニーズは高まる一方、その人材の供給が追いついていない状況であることが読み取れる。

 なお、ここで言う「グリーンスキル」とは、「経済活動の環境的持続可能性を可能にするスキル」であると、本レポートでは定義されている。具体的には、下図のような職種が挙げられている。

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参照:LinkedIn ” Global Green Skills Report 2023” https://economicgraph.linkedin.com/research/global-green-skills-report

■米国の脱炭素人材不足の状況と対策

 LinkedIn社の情報だけでは偏りがあると思われるかもしれないが、米国では、以下の通り、市場のニーズに対して脱炭素人材が不足することは確実視されている。

  • 国連環境計画の「グリーンジョブ教育に関するグローバルガイダンス」報告書(2021年)によると、グリーン経済への移行により、2030年までに推定6,000万人の新たな雇用が市場に追加されると見込まれている[4]
  • 北米では、インフレ抑制法(Inflation Reduction Act, IRA)を通じて、今後10年間で900万人の脱炭素関連の雇用が創出される見込み[5]
  • 全米電気工事業者協会によると、毎年、電気技師の退職者(10,000人)が新規就業者(7,500人)を上回っており、特にヒートポンプ、ソーラーパネル、送電線の施工業務に熟練した建設労働者の採用は困難[6]
  • 電化のための非営利団体である Rewiring America は、エネルギー移行に必要な新しい配線を完成させるだけでも、北米では100 万人の新しい電気技術者が必要であると見積もっている*3

 

 米国の脱炭素化の推進力となっている政策が、20228月に成立したインフレ抑制法だ。税控除などの手段により、10年間で約3,700億ドル(約55兆円)を投じて、クリーンエネルギー技術の製造と導入を支援する。そして、米国労働省はインフレ抑制法の概要説明にて、次のように言及している[7]

 IRAは投資と経済成長を促進し、エネルギー産業における現行賃金による雇用と登録見習い制度を支援することにより、労働者に新たな機会を創出し、クリーン・エネルギー経済を構築する米国の家庭のコストを引き下げるものである。

 IRAは、クリーンエネルギー解決策への我が国最大の投資である。気候変動への投資と良質な雇用の創出を組み合わせることで、気候危機と闘うためのIRAの比類なき投資は、クリーン・エネルギー産業における雇用の質を向上させ、これらの仕事への労働者訓練の道筋を拡大するインセンティブとなり、労働者を中流階級に引き上げる助けにもなる。

脱炭素化への投資と、労働者の雇用創出および育成とを直接的に結びつけている点が印象的だ。

■英国の脱炭素人材不足の状況と対策

 次に、英国の脱炭素化に向けた現状について見ていこう。

 PwCが毎年発表しているグリーン・ジョブ・バロメーター[8]によると、英国では、再生可能エネルギー産業で創出される雇用の数は、英国の雇用市場全体の4倍の速さで成長している。英国の新規雇用の2.2%が「グリーン」に分類され、グリーンジョブの求人数は昨年1年間で3倍の336,000件に達している。

 また、グリーン・アライアンスの調査[9]によれば、英国のあらゆる主要セクターが、ネット・ゼロを達成するためには、大幅なスキル・ギャップを埋める必要がある。特に、2030年までに最も緊急な排出削減を必要とする部門である住宅や運輸などは、喫緊の技能不足に直面しているという。

 こういった状況下、英国では、Future Energy Skills Programme[10]という、自国が 2050 年までにネットゼロを達成するためにエネルギー業界で必要なスキル、知識、能力を特定し、それに取り組むためのプログラムが創設された。このプログラムには、主導したCentrica(英国最大の電力・ガス会社), GMB(英国の野党最大の労働団体の1つ)の他、Equinor(ノルウェーの風力発電会社), Rolls-Royce(英国のエンジンメーカー), National Grid(英国の送電及びガス供給会社), ダイキン工業(日本の空調メーカー)など、ネットゼロへの移行に対して自社事業が直接的に影響を受ける大企業を中心とした14団体が名を連ねており、参画企業が雇用する労働者数は計600万人を超える規模である。

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参照:Future Energy Skills PROGRAMME https://futureenergyskills.co.uk/

本プログラムは、20237月に「The Skills for a Job Transition[11]」というレポートを公表し、住宅、建築、エネルギー効率、電力系統、水素、原子力、CCUSなど、各分野の現状を踏まえた上で、今後10年間で、英国で高度なグリーンスキルを備えた雇用を最大限に増やすための政策提言を具体的に論じている。

また、このレポートでは、グリーンスキルを備えた雇用の確保という観点で、以下の3つの課題を提起している。

  • スキル不足:適切な技能を持つ人材を十分に確保し、維持する課題
  • スキルギャップ:労働者を訓練し、グリーンスキルを向上させるという課題
  • スキルのカニバリゼーション:多くの労働者が既に国を跨いで移動しているこの分野では、特に自国民の雇用が失われるリスクが高い

このように、業界を横断する座組みで、ネットゼロへの移行に伴う雇用・人材の観点での現状把握・課題抽出・政策提言を行なっていることは注目に値する。

 

■米国・英国の取り組みから見る、日本の現状と示唆

 これまでに見てきたように、米国・英国では、カーボンニュートラルへの移行に伴うグリーンスキルを有する人材の不足状況に危機意識を持っており、また化石燃料をはじめとする既存産業に属する労働者に対するグリーンスキルのトレーニングの必要性を認識していることが分かる。

  一方で、日本企業の脱炭素人材の育成施策及び採用施策の現状はどうだろうか。本稿の最後に触れておきたい。

 一部の日本の大手インフラ系企業(電力会社、ガス会社、石油会社)は、脱炭素人材を育成する取り組みを始めている。例えば、東北電力は秋田火力発電所の構内に「風力発電設備トレーニングセンター(仮称)」を設置し、風力発電設備メンテナンス技術者を育成する施策を始めた[12]。まさに持続可能な社会の実現に資するスキルへの再編成、すなわちグリーン・リスキリングの取り組みの一例だと言える。

  ただし、多くの日系企業では、脱炭素化を見据えた人材育成に対する危機意識がまだ低いように思われる。脱炭素化のような急激な市場環境の変化に対して、特に日系大企業のように雇用の流動性が低い企業では、ドラスティックな対応がしづらい傾向にあると言える。そのため、企業が脱炭素化を推進するためには、欧米諸国のように、政府の支援や一部規制の強化[13]が必要となるのではないだろうか。

  また、脱炭素人材の採用という観点では、筆者が代表を務めるグリーンタレントハブは、脱炭素領域に特化した人材採用/転職支援事業を運営している。多くの大手企業・スタートアップから採用依頼を受ける中で、ポータブルスキル(コミュニケーション力・問題解決力・論理的思考力・プレゼンテーション力・調整力など、職種や職種が変わっても活かされる能力)に加えて、以下のようなグリーンスキル(脱炭素化の推進に必要な能力)を有する人材のサーチ依頼が急増している。下記に一例を示す。

サービスプロバイダー側企業の採用ニーズ

  • 再エネの事業開発(太陽光発電、洋上風力発電・陸上風力発電、水素)、技術開発、施工管理
  • 需給管理(電力トレーディング、アナリスト、料金プラン含むサービス設計)
  • サステナビリティコンサルタント(スコープ3を含むGHG排出量の可視化)

需要家側企業の採用ニーズ

  • GX事業推進(自社の脱炭素化、再エネの電源調達)
  • CSOChief Sustainability Officer)、サステナビリティ・マネージャー、ESG担当

 ただし、グリーンスキルを有する人材の採用ニーズに対して、そのような人材の顕在層が圧倒的に少ないのが現状だと言える。

  日本ではグリーンスキルを有する人材がどの程度不足する見込みなのか、またその不足する労働力に対する打開策がどのようなものかについて、ほとんど具体化されていないのが現状だ。

  日本においても、欧米諸国の取り組みを参考に、業界を跨いで各団体が連携し、脱炭素化を推進する人材の確保及び育成に関する課題認識を醸成することから動き始めることが期待される。

以上

 

グリーンタレントハブ株式会社 代表取締役 井口和宏

グリーンタレントハブHPhttps://greenth.co.jp/

YouTube「脱炭素キャリアチャンネル」https://www.youtube.com/@green_talent_hub

 

 

[1] NEDOCOP27に向けたカーボンニュートラルに関する海外主要国(米・中・EU・英・独・インドネシア・エジプト・インド)の動向」(2022) https://www.nedo.go.jp/content/100953117.pdf

[2] 経済産業省「GX実現に向けた基本方針」(2023) https://www.meti.go.jp/press/2022/02/20230210002/20230210002.html

[3] LinkedIn ” Global Green Skills Report 2023” https://economicgraph.linkedin.com/research/global-green-skills-report

[4] UN Environment Programme’s Global Guidance for Education on Green Jobs Report (2021) https://wedocs.unep.org/bitstream/handle/20.500.11822/35070/GGEGJ.pdf

[5] BlueGreen Alliance Foundation https://www.bluegreenalliance.org/site/9-million-good-jobs-from-climate-action-the-inflation-reduction-act/

[6] CleanTechnica (2023) https://cleantechnica.com/2023/01/12/the-energy-transition-has-a-labor-shortage-problem-this-startup-is-taking-it-on/

[7] U.S. Department of Labor ” Inflation Reduction Act Tax Credit” https://www.dol.gov/general/inflation-reduction-act-tax-credit

[8] PwC, ”Green Jobs growing at four times the pace of the overall employment market” https://www.pwc.co.uk/press-room/press-releases/green-jobs-growing-at-four-times-the-pace-of-the-overall-employm.html

[9] Green Alliance Policy insight(2022) https://9f619a1f292e437dbef8.b-cdn.net/wp-content/uploads/2022/01/Closing_the_UKs_green_skills_gap.pdf

[10] Future Energy Skills PROGRAMME https://futureenergyskills.co.uk/


[11] THE SKILLS FOR A JOBS TRANSITION https://futureenergyskills.co.uk/publications

[12] 東北電力株式会社プレスリリース(2022.7

https://www.tohoku-epco.co.jp/news/normal/1228445_2558.html

[13] 例えば、米カリフォルニア州では、新築住宅への太陽光発電設置の義務付けを2020年から実施しており、また2022年には住宅用と商業建物用の天然ガスヒーターと給湯器の販売を2030年までに停止する規制が成立している

https://www.renewable-ei.org/activities/column/REupdate/20220622_2.php

https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/09/d5de1ccaf64cb988.html