脱炭素を目指す取り組みとして浸透しつつあるカーボン・オフセットについて、皆様の理解の促進を図ることで、より独創的なアイデア構築の一助にできたらと考え、これまでのカーボン・オフセットの変遷や成功事例、実施の方法や今後の可能性などを5回に渡って述べてまいります。
黎明編
少し冗長にはなりますが、第1回は日本におけるカーボン・オフセットの昔話をします。
国内においてカーボン・オフセットが広がりを見せ始めた時期は、2008年7月に開催された洞爺湖サミットの頃までさかのぼります。
今でこそJ-クレジットをはじめとする国内外の様々な環境価値クレジットが活用されていますが、当時は京都メカニズムに基づいて途上国から創出される排出権「CER」を1t-CO2あたり4,000円ほど(1,000t-CO2単位)で、金融機関や商社などから購入することが出来る程度の状況で、まだ一般的な企業の環境活動へ小口で流通するような価値ではありませんでした。CER以外ですとニュージーランドの森林由来のAAU(国別排出枠)なども取引されていました。
(余談ですがその後4年間でリーマンショックなどの影響によりCERの価格は100円/t-CO2程度まで下落します。(日本総研 https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=22270 ))
目に見えないCO2を「排出権」という無形の価値で打ち消すカーボン・オフセットは、京都議定書の第一約束期間の目標(2008年~2012年までに1990年比6%削減)を官民あげて達成しようという社会的な機運(チームマイナス6%運動などが記憶にあるでしょうか)において、先進的かつ奇妙な方法として世間の耳目を集めました。
そんな中、洞爺湖サミットが「国際会議における国内初のカーボン・オフセット」を実施したことで、投機的金融商品のような排出権が「温暖化対策活動に使えるエコツール」として社会に認知され始めたと記憶しています。
カーボン・オフセットが前面にPRされた外務省の洞爺湖サミットwebサイト
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/summit/toyako08/index.html
(残念ながらカーボン・オフセット報告書のリンクは切れていました。)
洞爺湖サミット以降、カーボン・オフセットは、温暖化対策につながる環境貢献ストーリーと、国内初・業界初といった新規性が相まって、実施すれば新聞・メディアへ掲載されるエココンテンツとして先進的な取り組みを開拓する企業や環境意識の高い経営者の関心を引くところとなり、様々な取り組みが生まれ現在のカーボン・オフセットの基盤が作られてゆきました。
京都クレジットを用いた当時として最先端のカーボン・オフセットの事例