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人新世における地球と人類 - 私達は次の世代に何を残すのか?(第5回)

  1. 社会・経済システム転換③ - 人間的基盤の変革

本稿第三回で示した社会・経済システム転換のダイアグラムの中では、「人間的基盤:社会・経済のあり方の基盤となる人間の内面と行動」を社会・経済システム転換の基礎に据えた。人々が問題を正しく認識した上で合理的な行動をすること、つまり人々の意識と行動の変容(以下「行動変容」という)が地球システム保全の基盤となるからである。今回は、この人々の行動変容を少し掘り下げる。ここは世界観や価値観によって見解が異なるところだが、ひとつの考え方として読んでいただければ幸いである。

 

社会・経済を動かす人々の意識と行動とは

人々は様々な顔で社会・経済を動かしている。財市場では、消費者=顧客として企業活動を方向づける。消費者ニーズに応える企業だけが生き残れるからだ。金融市場では、投資の最終受益者として資金の流れとそれに伴う影響力(株主議決権等)を左右する。年金、保険、投資信託等の機関投資家は、もっぱら受益者の利益のために資金を運用する義務(fiduciary duty)を負うからだ。労働市場では、従業員や管理職として組織の日々の意思決定を行う。そして何よりも、社会構成員や主権者として価値基準、正義、道徳、法律などの社会規範(social norm)を作る力をもつ。

このように人々は(各国の政治・経済状況による差はあっても)財市場、金融市場、企業行動、政治、世論などを通じて社会・経済のあり様を決める根源的な力をもっている。

 

地球環境危機を解決に導く意識と行動の変容とは

では、人々のどのような行動変容が地球システムの保全に重要だろうか。

啓発によって消費者や投資家の意識・行動を環境志向に変えれば世界は変わるという議論をよく聞く。しかし、前回コラム①の通り、消費者に高くても環境に良いものを買うことを期待するのは、経済的にも倫理的にも矛盾がある。(それが可能/affordableな消費者にはぜひそうして欲しいが。)経済的動機に反する行動を必ずしも豊かでない世界中の人々に浸透させるのは現実的ではない。また、そのような自己犠牲的行動に期待するのは、社会の変革を通じて既得権益に負わせるべき責任を人々に転嫁することになりかねない。

一方、環境重視の行動変容こそが正しく経済合理的である社会・経済にすればこの矛盾は解消できる。それは社会構成員・主権者としての人々が、世論や投票行動を通じて社会規範を変えることで可能になる。例えば、財市場で環境負荷に規制や税金を課し、金融市場で環境重視の情報開示ルールや機関投資家の行動規範を導入すれば、すべての市場参加者の行動が自然と環境重視に変わる。その効果は、今日のグローバル化したモノや金融の市場を通じて瞬く間に世界に広がる。あるいは、環境を損なう政府や企業、個人の行為が世論から倫理的に非難されまた法で規制されれば、すべての主体の行動は変わらざるをえない。

つまり、社会構成員・主権者としての人々の行動変容こそが、地球システム保全に向けて社会・経済の仕組みを変え消費者や投資家としての人々の行動変容を広く起こせるのである。

 

【コラム④:反資本主義・反グローバル化が人類社会を救うのか?】

本稿は、今のグローバル化した市場経済や資本主義の枠組みを利用しつつ、その中身の転換によって地球システム保全を図ることができると考えている。一方、それらの否定が地球環境危機の解決に繋がるという意見もよく耳にする。そのバリエーションに、人気の資本主義否定論や地方創生と結びついた経済のローカル化・地産地消論などがある。確かに地球環境危機は、資本主義や市場経済、技術革新やグローバル化と結びついた大量生産・消費する地球システムを顧みない経済システムが世界を席巻したことに起因する。

一方、同じ仕組みが地球上の78億人の生活を回している。今や資本主義の「資本」の大半は年金・保険・預貯金を通じて私たちの資産であり、物質的豊かさの大半を享受しているのも私たちである。比較優位による国際分業なしに途上国の所得向上は難しい。モノや資本の市場による効率的な資源配分や分業・技術革新による生産性向上のメリットを否定するなら、その帰結として今より格段に(物質的に)貧しい生活を受け入れる覚悟がいる。高度な医療や衛生、多様な教育機会や文化・娯楽、食生活などを諦めることができる人はどれほどいるだろうか。

もちろん今のシステムの中身を大きく変える必要がある。経済に環境価値を組み込まなくてはならない。行き過ぎた経済格差やグローバル化を見直す余地も大きい。しかし、少なくとも飢餓や貧困が広がらないように世界経済を回しながら限られた時間内に地球システムを安定させるには、グローバル化した市場を利用して世界規模の社会・経済システム転換を進める必要がある。世界のサステナビリティの議論でもこのアプローチが主流である。今の資本主義否定論やローカル化論は地球システム保全と100億の人口の生活を両立できる社会・経済を実現するにはナイーブ過ぎるように思う。

行動変容は必然か?

さて、地球システム保全には社会構成員・主権者としての行動変容が必要だとしても、それは人々にとって合理的、必然的なものだろうか。

第一回で見たように、今日の地球環境危機では、地球システムが不可逆的に不安定化することで人類社会の未来を奪う。つまり、地球システム保全は一部ではなくすべての人々の最も重要な共通利益であり、そのために協調して行動変容することは当然に合理的で正しい。

しかし、それは必然的とは限らない。なぜなら、既存・目先の利益や利害対立、不信感が人々の協調を妨げ、人類の共通利益に立ちはだかるからだ。人々の損得勘定や利害関係をきちんと調整しなければ、地球システム保全への人々の行動変容は難しい。その前提となるのは以下の二つだ。

啓発・情報:まず、人々が自らの真の利益を知るには、状況と選択肢の正しい理解を要する。第一に、地球環境危機の意味を正しく学び、地球システム保全が自らの致命的に重要な利益(逆は不利益)であることを理解しなければならない。第二に、合理的な選択肢、つまり社会・経済システム転換の道筋を知らなければならない。これらを可能にするのは、科学的な知見に支えられた啓発であり、透明性の高い情報である。

公正・衡平・信頼:一方、相互信頼がない場合、つまり不公正・不公平、フリーライドや抜け駆けが許される場合には、人々は共通利益のための協調をためらい結局は自らの利益も損ねてしまう(囚人のジレンマ[1])。人々が行動変容で協調するには、公正、衡平、信頼を実現する社会の調整が必要である。例えば、産業構造の転換で失職する人々には補償や新しい機会、規制や負担を潜脱する企業には相応のペナルティ、炭素税で困窮する低所得層には相応の社会保障を与える必要がある。公正、衡平、信頼に支えられた社会は、地球システム保全への協調行動の前提である。

この二つの前提が整えば、人々は協調して行動変容しやすくなり、大規模で迅速な社会・経済システム転換が可能になる。

 

国際協調のチャレンジ

しかし、地球システム保全のための人々の行動変容にはもう一つ最大の壁がある。国際協調の難しさである。今日の国際社会は、国民を正当性の基盤とする国家主権をもつ国民国家[2]から構成され、国民単位で社会を統治し利害調整している。国際社会に国家を超える権力はなく、地球システム保全という人類の共通利益のための強制や利害調整もやはり国家間の合意を前提とする。人類規模の統治の仕組みが未成熟な今の世界では、人々の意識・行動も人類というより国民の観点に支配され、人類の共通利益のための協調や社会規範の形成を難しくする。

この壁の克服には、やはり啓発・情報と公正・衡平・信頼の確保が前提となる。ただし、世界規模で。世界のより多くの人々が人類の共通利益が自らの利益であることやその実現方法を知ることが協調行動の大前提となる。公正・衡平・信頼に関しては、これまで地球環境を劣化させつつ豊かになった先進国と同じやり方を制限される一方で環境劣化の被害をより受ける発展途上国との利害調整、つまり南北問題が最大の課題である。

人類がこの壁を乗り越えられるか予断を許さない。悲観的に見れば、先進国・途上国を問わず進む経済格差と社会の分断が人々を内向きにして偏狭なナショナリズムや自国第一主義を台頭させ、国際協調を困難にするかもしれない。また、インターネットがデマや誤謬を世界に広げ人々を混乱させるかもしれない。私たちは、世界各地でその事例を見ている。しかし、楽観的に考えれば、グローバル化した世界が救いとなって、世界の人々の情報共有や対話が格段に容易になり、国際的なバリューシステムや金融市場を通じて先進的な国や企業の行動が世界に波及することが期待できる。私たちは、気候変動を防ごうとする世界の人々の連帯、グローバル企業や金融機関の行動変容の国際波及力などを目撃している。

 

リーダーシップへの期待

リーダーシップについて触れてこの回を締めくくる。家族・友人グループから国や国際社会まで社会は様々なレベルのリーダーシップによって動かされ、それゆえに政治家、企業経営者、学者、文化人、活動家、オピニオンリーダーなどのリーダーたちはそれぞれの持ち場で責任を負っている。状況を正しく把握し、合理的な行動の選択肢を示し、人々を説得し導く責任である。発揮される(またはされない)リーダーシップが人々の行動変容を方向づけ地球システム保全の命運を決める。私たちが今見ているリーダーたちの姿が未来を占う。

 

【コラム⑤:自然と人間の関係 やや哲学的な話】 

コラム④にも関連するが、かねてから人間と自然の関係について異なる考え方がある。単純化すれば、自然中心主義と人間中心主義の違いである。前者の代表にディープ・エコロジーがあり、すべての生物に固有価値や生存権を認め人間の利益のためではなく自然の保全そのものを重視する。後者は、環境を人間の利益や社会の持続可能性の前提と捉え人類の共通利益のためにその保全を図ろうとする。環境を重視する点では似て見えるが、出発点が異なるので様々な論点で違いが生まれ環境の議論を複雑にする。例えば、クジラ漁は十分な生息数を確保できれば許すべきかとにかく禁止すべきか、持続可能な開発を肯定するか開発自体に懐疑的か、動物福祉はどこまで必要かなどである。

価値観に正誤は決め難いが、今の地球環境危機を克服するには人間中心主義のアプローチが合理的であり、本稿もその立場である。

Ÿ 広汎な行動変容に向けて世界の人々を説得するには、まず人々の共通利益を基盤にする必要がある。

Ÿ 自然中心主義は現代社会や生活様式の根本的否定、またはコラム④のような反資本主義・反市場経済に帰結しがちだが、その先に限られた時間に混乱なくあるべき世界を実現できる具体的なビジョンが見当たらない。

やや哲学的な話になるが、自然中心主義は自然を固定的に捉えているように見える。35億年超の地球生命史の中で、生物(遺伝子)の系譜は一度も途切れることなく、地球環境の想像を絶する変化に深く関与してきた。人間もその系譜に連なる一種族として必然的に地球に変化をもたらす。ただ、人間中心に考えれば、今の急激な自然の改変は人類文明の自殺行為であり、共通利益のために回避策を講じようと言うことだ。同時に今の78億人の人類社会の維持・発展も共通利益である。したがって持続可能な開発・発展の方法を探すしかない。

一方、自然中心に考えると、何にせよ開発を極力止めて自然への影響を最小化するように生活しようという話になる。しかし、生命は太陽膨張で地球上から消滅する9億年後まで系譜を繋ぎながら自然を変え続けるのだから、この自然中心主義は今の人間の中にある「理想の自然」を維持しようとする人為に見える。結局、自然を人間の利益のために保全することも人間の影響を排して維持することも人間の自然への関与のバリエーションである。

ホワイトヘッド[3]が言うように、自然の本質は時空の中で生成し推移し続ける一回限りの出来事なのだろう。

 

[1] 囚人のジレンマ(社会的ジレンマ)とは、協力する方が皆にとって得なことが分かっていても抜け駆けが可能な状況では皆が抜け駆けを図って協力せず、結局は皆が損をするというゲーム理論におけるジレンマ。学習によって互いに抜け駆けをしない信頼関係が生まれれば協力によって全体の最適を図れる可能性が生まれる。

[2] 国民国家は王権中心の国家からフランス革命以降の共和制国家を経て19世紀ヨーロッパで成立した。20世紀には二つの世界大戦を経て旧植民地が民族的ナショナリズムを基盤に国民国家として次々に独立し、今日の国際社会は200弱の国が構成する。基本的人権や民主主義など人類の普遍的な価値とされるもので国家の壁を越えようとする動きはあるが、国家に代わりうる権力主体はまだない。

[3] アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(1861-1947年)はイギリスの数学者、哲学者。数学者としては、バートランド・ラッセルとの共著『数学原理』で記号論理学に貢献した。晩年に哲学者に転じ、世界を一連の生起(occasionactual entityactual occasion)として捉えるプロセス哲学や有機体論的自然観を展開した。今日のエコロジー思想にも影響を与えている。

 

谷 淳也
東京大学 グローバル・コモンズ・センター シニア・リサーチャー
Future Earth 日本ハブ シニア・アドバイザー