デジタルグリッドコラム

人新世における地球と人類 - 私達は次の世代に何を残すのか?(第6回)

Written by 谷 淳也 | 6/1/21 10:59 PM
  1. 私たちは次の世代に何を残せるか。

これまで5回にわたり、今日の地球環境危機の意味とそれを克服するための社会・経済システム転換について説明してきた。では、日本の私たちにとって、地球環境危機とは何を意味しどう対処すべきなのだろうか。私たちは、地球環境危機だけではなく、人口減少・高齢化、経済の停滞など様々な国内問題にも悩んでいる。そんな中で、私たちは危機を克服し、子や孫の世代に豊かで幸せな未来を引き継げるのか。もちろんそうありたい。しかし、その成否はまだ定かではない。

地球環境危機と日本の私たち

これから地球環境危機の回避の成否を決める最も重大な1030年を通過する日本の未来は、まずは地球システムや人類社会の行く末に、そして日本自身が地球と世界の変化にどう対処するかにかかっている。

最も悲観的なシナリオは、世界が危機への対処に失敗し、地球システムが臨界点に達して不安定化のスパイラルに陥る場合である。その時今世紀中に、私たち次のような事態を経験するのだろう。

  • より頻繁でより激しい酷暑、豪雨、台風、大寒波などの異常気象が日本を襲い、多くの国民の健康・生命と財産が損なわれる。また異常気象は海面上昇と相俟って、沿岸都市部を洪水リスクに晒す。(「天気の子」の世界が、あながち絵空事ではなくなる。)
  • 日本は亜熱帯化し、マラリヤやデング熱が本格的に流行する。また、世界的に新型コロナのような新たな人獣共通感染症の発生確率が上がる。つまり、私たちは伝染病によりおびえながら暮らすことになる。
  • 気候変動の激化や水不足で日本を含む世界の食料生産・供給が不安定になり、輸入に頼る日本では食料価格の高騰や食料不足の恐れが高まる。つまり、私たちは飢えに無縁ではなくなる。
  • この世界的な食料生産・供給の混乱は、アジアを含む各地で様々な紛争や億人単位の難民を生み、日本を巡る国際政治・安全保障・経済情勢が不安定になる。

日本にとって悲観的なもう一つのシナリオは、世界が社会・経済システム転換によって危機克服に成功する一方で、日本はそれに乗り遅れたり、ただ乗りしようとしたりする場合である。この時、日本の政治・経済における国際的地位はさらに低下し、私たちはもはや豊かでもなく尊敬もされない国の住人になるだろう。

  • 経済面では、まず社会・経済システム転換に伴う新たな技術や産業の発展の機会を逸する。また、脱炭素化など環境対応やエネルギー・コスト低減といった世界の潮流に乗り遅れることで、国内産業はグローバルなサプライチェーンから疎外される。この結果、日本は世界の経済成長の後塵を拝し続ける。
  • 国際社会では、地球環境問題の巡る世界の主導権争いの蚊帳の外におかれ、政治的の影響力や発言力がさらに低下し、安全保障面でも後手に回っていく。

日本にとっていずれも悲劇的なこの二つのシナリオを避けるには、兎にも角にもまず地球環境危機の回避に向けて世界と力を合わせなければならない。さもなければ共通の未来を失ってしまう。また、より豊か未来を望むなら、脱炭素化はじめ求められるシステム転換について、外圧に渋々応じたり努力を胡麻化したりする態度ではなく、産業や技術の加えて社会や経済制度の転換で世界をリードする必要がある。地球環境危機への対処が、日本の私たちの未来を決めるのである。

 

日本社会の現状と選択肢

さて、日本では長きにわたる国内の構造問題がさらに深まりつつある。この30年間、私たちは世界の経済・産業の成長に遅れ、相対的に貧しくなり、将来への蓄えの大半も政府が使い込んでしまった(経済の停滞)。この間、経済格差と世代や社会階層間の分断は深まり、女性や性的マイノリティの社会的受容も進まず、社会の包摂性は後退さえしている(社会の閉塞)。そして、いよいよ人口減・高齢化が加速し、社会・経済に巨大なひずみが生じて行く(国の縮小)。私たちは、この「停滞、閉塞、縮小」の三重苦を前に、地球環境危機に取り組む余裕などあるだろうか。国内には、脱炭素化など大きなシステム転換は国益を損なうので、日本は欧米や中国に惑わされず我が道を行けば良いとする意見も根強い。しかし、これこそ「貧すれば鈍する」だ。少し考えれば、地球環境危機と国内課題の解決は切り離すことなどできない表裏の関係にあると分かるのだから。

まず、マクロ的には、前述のように地球環境危機への対応に遅れると、日本は経済・産業・政治のすべてでさらに世界に取り残され、力を失い、貧しくなってしまう。逆に、この人類史上最大のシステム転換をリードすれば、情報、人材、投資などを呼び込み、大きなチャンスを得られる。それは、日本が世界の経済発展や産業転換を再び先導し、大国ではなくとも世界で輝き尊敬される存在になる千載一遇の機会である。

ミクロでも同じことが言える。太陽光や風力など自然の力でエネルギーを賄えれば、化石燃料への支出減で貿易収支と家計の改善でき、私たちは豊かになる。過食や肉食から植物や水産物中心の食生活にシフトすれば、環境負荷を減らすだけでなく、健康にも優しく健康寿命を延ばし医療コストを削減できる。食品廃棄・ロスの削減や再利用は、無駄を減らし食料自給率を上げて豊かさと安全保障に資する。地下資源(化石燃料や金属)の循環利用も対外収支を改善し安全保障を高める。都市での公共交通や自転車専用レーンの充実、生態系の回復で、誰にも快適で優しい街を作れる。

地球システム保全と豊かな日本の未来は同じ軌道にある。二兎を追うことこそ正しい選択である。

【コラム⑤:国益主義が国益を守るのか?】

日本政府は脱炭素宣言に続き2030年までのCO2排出削減目標を大幅に引き上げた。国内では支持する世論が多い一方、「国益」の観点から反発する意見も根強い。例えば…

①  気候変動を巡る動向は世界の経済覇権争いである。急激な脱炭素化は国内産業のコスト増や強み(内燃機関や石炭火力技術等)の弱体化を招いて国際競争力を損ね、競争相手を利するだけだ。

②  日本が石炭火力発電設備の輸出を止めても中国が取って代わり、世界のCO2排出量は減らず中国を利するだけに終わる。よって輸出は続けるべきだ。また、途上国はまだまだ石炭火力を必要としている。

③  脱炭素化は世界のトレンドに合う成長戦略そのものであり、その追求は経済発展と国益に資する。(①②が脱炭素化にネガティブな国益主義とすれば、③はポジティブな国益主義と言える。)

まず、どの国益主義も、今日の地球環境危機が日本を含む人類社会の未来・共通利益を根底から損なうものであり、自らにも致命的なダメージが及ぶとの認識を欠いている。もちろん脱炭素化への道のりの中で国や企業同士の競争はあるが、それは二次的な問題である。

また、①に従って脱炭素化アクションで世界に遅れると、日本の産業はエネルギーの質とコストで劣後し世界のサプライチェーンから外れて行く。②は、友達が勉強せず遊ぶなら自分も遊んで良いはずという幼稚で恥ずかしい理屈である。また主要経済圏が脱炭素化する中、そこにモノを売りたい途上国が突然に石炭から再エネに舵を切る可能性も十分にある。その時、中国は石炭火力に代えて太陽光発電を売れるが、日本には売るものがない。③のように経済的利益から出発する脱炭素化の姿勢は、人類の共通利益から出発する姿勢とは違う。前者の視点ではどうしても既存の利害関係の捉われ、痛みを伴う制度変革を避け、積上げ式の目標設定を好み、社会変革ではなく科学技術に解決を託す。成長戦略とは、国民の豊かさよりむしろ既存産業・企業の利益保護を目的とする。一方、後者では、地球システム保全に必要な社会・経済システム転換の実現、つまり長期的利益のために業界・企業の新陳代謝など短期的な痛みも受け入れる。世界の議論は後者から出発している。これを共有しないと世界の潮流を見誤り、結局は国益を損なう。

 

成功か失敗か

では、私たちはそのように正しく選択し、次の世代に持続可能な地球と豊かな日本を引き継げるだろうか。その可能性はあるが容易でもない。つまり、成功も失敗もありうる。

成功の要素はたくさんある。経済は停滞し国際的地位は下がったとはいえ、まだ世界第三位の規模を有し、技術やブランド力の高い企業も多い。国の浪費にもかかわらず対外純資産は350兆円超と世界最大だ。つまり、社会・システム転換をリードしうる産業・技術・資金は残っている。分断と閉塞感が深まったとはいえ、私たちの社会は安定し国民の教育とモラルは高い。納得できる目標と道筋を示せば、人々にはその実現のために行動し変革を起こす能力がある。また、急激な人口減と高齢化は大きな重圧だが、世界に先駆けて環境にも高齢者にも優しい社会を目指せば、一人当たり付加価値が高く環境負荷の少ない産業へ転換する契機にできる。

一方、地球についても国内についても失敗の可能性は低くない。図らずも今のコロナ禍はそれを露呈した。政治やビジネスにおけるリーダーシップの機能不全(それ以前にリーダーの人品劣化)には目を覆いたくなった。科学的・合理的・戦略的な思考・行動能力の欠如も明らかになった。国民の共通利益より私益や権益(選挙区、業界、省益など)を優先する人々にもうんざりした。かくいう私たち自身も正常化バイアスに侵され、現状維持や現実逃避の思考回路に迷い込んでいる。このような体たらくが続けば、地球環境問題にも国内問題にもきちんと対処できず、次の30年もさらに失われてしまう。

総じていえば、私たちは成功材料をまだ持っているが、それを活用して変革や転換を断行する勇気や思考力を発揮できていない。成功か失敗か、国内外の深刻な課題に正面から挑むのか、逃避して三重苦の深みにはまり世界から落伍するのか。私たちはその岐路に立っている。タイムリミットは迫り、チャンスはおそらく一度きりだ。

 

おわりに

人間活動が招いている深刻な地球環境危機の意味に始まり、その回避に必要な社会・経済システム転換、そして日本の私たちが直面する未来への選択について述べてきた。締めくくりにもう一度地球と人間の関係を考えて、本稿を終わることにしたい。(図表①参照)

地球は、様々な生物と非生物が相互作用する中を物質やエネルギーが流れて行く複雑なシステムである。地球には、大気圏、地圏、水圏があり、その中に生命活動が営まれ私たちが生きる生物圏がある。そこでは、太陽エネルギーや地球内部のエネルギーによって、大気や水が循環し、火山活動や大陸移動などが絶え間なく起こっている。また微生物から人間まで多種多様な生物が、生成と分解、光合成と呼吸、生と死などで連鎖し合い、地球の状態を変え続けている。生命誕生以来35億年以上の間、大気中の酸素やオゾン層を作ったり、全地球を凍結させたり融解したり、生物を様々に進化させたりしたのは、そのような生物と無生物による地球システムの働きである。

第一回で「人類は、あまりに巨大化した力で地球を変えてしまい…」と書いたが、実は人間には地球システムをすっかり変えるほどの力はない。ただ、ここ1.2万年間のバランスをちょっと揺さぶっているのである。すると地球システムはわずかによろけて少し違うバランスを取りに行くのだが、その帰結は人間にとっておそらく致命的である。一方、人類がどうなろうと生物と無生物による地球システムは違う形に展開し続いて行く。

私たちは謙虚になるべきだろう。人間は地球を支配などしていない。地球のバランスをわずかに崩すだけで、人類のこれまでの繁栄の基盤はあっさりと消滅してしまう。だから、私たちが豊かな未来を希求するならば、その微妙なバランスを守らなければならない。私たちは今、バランスを守り回復して次の世代に幸福の基盤を残せるか、その瀬戸際にいる。

 

図表①

 

谷 淳也
東京大学 グローバル・コモンズ・センター シニア・リサーチャー
Future Earth 日本ハブ シニア・アドバイザー