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人新世における地球と人類 - 私達は次の世代に何を残すのか?(第1回)

1.人新世における地球環境の危機とは。

はじめに

人類は今、約1万年にわたって発展させてきた文明の基盤を自ら壊そうとしている。地球環境の危機である。それは、日本で私たちが体験している異常気象だけではない。北極圏では氷床や海氷が急速に融け、世界各地で大規模な山林火災が頻発し、サンゴ礁が死滅し、生物史上前例のないスピードで種が絶滅している。そして、新型コロナなど新しい感染症も、この地球の異変に連なると考えられている。科学は、これからさらに異変が拡大、連鎖し、人類文明に致命的な災厄となる危険を警告している。

原因は、私たちが乱開発、廃棄、排出等によって地球にかけ続ける巨大な環境負荷である。危機の回避には、それを急いで安全レベルまで減らすしかない。これに対応すべく、世界は大きく動き始めている。先行して取り組む欧州に、中国や韓国、そして民主党政権の米国が続こうとしている。日本政府もついに脱炭素化宣言をして、その輪に加わった。

しかし、対応の規模やスピードは、まだまだ危機回避に十分ではない。これから10年あまりで、政策、資金、科学技術、人々の行動変容などあらゆる手段を動員し、世界規模で社会や経済の仕組みをすっかり変える必要がある。タイムリミットは迫っており、危機を逃れるチャンスはおそらく一度きりだ(その意味は後段で説明する)。まるで映画「アルマゲドン」である。しかし、これは空想ではなく、科学が示す今の私たちの現実なのだ。

また、地球環境という人類共通の利益、それも生物・非生物のあらゆる要素が連鎖して一つの系をなす人知を超えるものを守ることは、人類史上初めてのチャレンジである。それは、これまでの国家主権や市場経済等の枠組みだけでは、成し遂げることは難しい。新しいガバナンスやリーダーシップも必要である。

本稿では、今日の地球環境危機の意味、それを克服するための社会・経済システム転換の必要性と必然性、また、そのための新しいガバナンスや価値観について考えてみたい。読者が、地球と人類の関係、そして私たちと次の世代の未来について考える何かのきっかけになれば望外の幸せである。

なお、本稿はあくまで私の個人的な論考であり、私の関係する組織の見解ではないことを予め申し述べる。

 

完新世から人新世へ

私たち現生人類(以下、単に「人類」という)は、およそ20万年前に誕生したといわれる。地球の45億年、生命の35億年、ヒトがチンパンジーから分化した700万年の歴史に比べればごく最近のことである。その20万年間、人類は繰り返す氷期や巨大な火山活動による気候の大変動をなんとか生き延び(一時は絶滅の危機にさえあった)、直近の僅か1万年に初めて今の文明を築いた。

この人類文明の発展を可能にしたのは、約1.2万年前から始まった間氷期「完新世(Holocene)」の奇跡的に穏やかな地球の環境である。この間、地球はそれ以前よりかなり温暖で、平均気温の変動もせいぜい上下1℃と極めて安定していた。その中で人類は、農耕を始めて人口を増やし、都市を作って分業を進め、情報を蓄積して技術や社会制度を発達させた。今や私たちの活動は世界を覆いつくし、あらゆる地下資源を利用し、溢れるほどのモノを作り、人口は80億人に、経済規模(GDP)は100兆米ドル(1京円@100/米ドル)に及ぼうとしている。しかし、それでも私たちの文明は、完新世の地球の安定に支えられ、それ以外の環境を知らない。つまり、完新世の地球の安定状態が、文明を持続する前提条件であることを忘れてはならない。

皮肉なことに、人類は、あまりに巨大化した力で地球を変えてしまい、その完新世の地球の安定を破壊しつつある。18世紀以降の産業革命が、資本主義のダイナミズムと化石燃料のエネルギーを解き放った。特に20世紀半ば以降、人間活動とその環境負荷は急激に加速し(”Great Acceleration”と呼ばれる)、地球環境を支配する力となった。そして、放射性物質、化学物質、金属など大量の物質の廃棄と排出、森林、湿地、河川、海洋などあらゆる自然の開発と搾取の痕跡が、地球に深く刻まれ、地球の状態を変えつつある。こうして、地球環境の命運が人の手に委ねられる新しい地質時代「人新世(Anthropocene)」が始まった[1]

その人新世の始まりとともに、私たちは人類社会の持続可能性(サステナビリティ)の危機という根源的な課題に直面している。そしてそれは、完新世の地球の安定を失わずに済むか否かにかかっているのだ。

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過去10万年の気温の変化。この1.2万年の完新世の地球の気候がいかに例外的な安定していたかが分かる。(出典)「小さな地球の大きな世界」 J. ロックストローム, M.クルム著(丸善出版・2018年)

 

地球システムとその臨界点(ティッピング・ポイント)

では、完新世の地球の安定を失わないためには、どうすれば良いのだろう。自然を愛し、大事にすれば良いのだろうか。もちろん、身の回りにある森や川、海といった自然は、大切に守るべきものである。日本でも過去に様々な公害や自然破壊があり、私たちは苦労しながらも汚染の防止と自然の回復を進めてきた。

しかし、今日の地球環境危機とは、このような公害や自然破壊の広がりだけを言うのではない。それと同時に、一見、自然破壊に見えないものも含む人間活動による巨大な環境負荷が、地球全体を完新世とは全く異なる状態に変えてしまう時が迫っているという危機である。

地球は、無数の生物・非生物の構成要素が相互に作用し連鎖する巨大で複雑なシステムである(地球システムという)。それらの要素は、気候や火山活動、大気や海洋の状態、氷河や氷床、森林やサバンナ、土壌や地下資源、生態系やバイオーム、それらを巡るエネルギーや物質の循環といった現象として立ち現れ、今の地球の状態を作っている。その地球システムが、人類にとても都合よく機能してくれた奇跡的な均衡状態が、完新世の安定である。

この地球システムは、何かのきっかけで変化が連鎖し(正のフィードバック)、それがある臨界点(ティッピング・ポイント)を超えると急激に別の状態へ移行して行くと考えられている。例えば、今、地球温暖化で、北極圏の氷床や海氷が急速に融けて縮小している。氷や雪は、太陽エネルギーの大半を宇宙に跳ね返して地球を冷やす役割を果たすが(アルベド効果という)、融けて地面や海面に変わると逆に太陽エネルギーの大半を吸収して地球を暖めてしまう。温暖化が温暖化を呼ぶこのような現象が正のフィードバックであり、他にも地球上のあちこちで起こりつつある。

一方で、地球システムは、様々な負のフィードバックを働かせてそのような変化の連鎖を抑止するレジリエンス(自己回復力)も備えている。例えば、人間が排出する二酸化炭素の半分を吸収・貯蔵してくれる森林や海洋は、温暖化に対する重要なレジリエンスの機能を果たしている[2]

そして、正のフィードバックが強まる一方でレジリエンス機能が弱くなると、変化の連鎖が加速し、地球システムは完新世とは別の状態に移行する臨界点に達してしまう。この臨界点がいったん発動すると、もはや人間の力では変化を制御できず、私たちは二度と完新世の状態に戻れなくなる。つまり、不可逆的な状態の移行である。この臨界点の引き金を引くリスクこそが、人新世における地球環境危機の本質なのである。

私たちは今、まさに正のフィードバックのきっかけをどんどん作る一方、レジリエンスをどんどん破壊し、危機をますます深めている。その最も危険な領域が、地球温暖化と生物多様性の喪失である。次回は、その状況についてもう少し詳しく見てみる。

地球温暖化が進むと地球のサブシステム要素の臨界点が発動し、連鎖もして臨界点のドミノ倒しが地球システム全体に波及する。上図では、個々の要素の臨界点となる世界の平均気温上昇の範囲を、色分けしている。矢印は、ドミノの要素間の潜在的な相互作用を示す。(出典)ニューズウィーク日本版2018911日号よ(原典:Trajectories of the Earth System in the Anthropocene, Will Steffen et al., PNAS August 14, 2018

 

[1] 20世紀半ばに完新世が終わり、人新世が始まったとされる考えが有力になっているが、地質学会ではまだ議論が続いている。

[2] 一方、海洋は吸収する二酸化炭素のせいで酸性化しており、海の生態系に深刻なダメージを与えると懸念されている。

谷 淳也
東京大学 グローバル・コモンズ・センター シニア・リサーチャー
Future Earth 日本ハブ シニア・アドバイザー